昭和41年11月09日 朝の御理解



 私共が真実幸背になって行くと言う事は、目先目先の願い事がひと事成就して、ふた事成就したからというて幸せと言う事では決してありません。いかにもそれはおかげを頂いたとこう申しておりますけれども、もう次にはお願いをしなけれならない、また切羽詰まった問題というのは次々とあるものです。ですからその、まっ目先目先の不足のない、というか困った事と言うか、又お願いをしねばならないその事柄もお取次ぎを頂いてお願いをしているので御座いますけれども。
 その事だけがおかげを受ければよいというのじゃないのです。もうそれこそ万事の上に、所謂万端の上に神様の働きを頂き、ご苦労を頂きしかもそれが一つの過ちもない、誤りもないそれが天地の運行、ね。天地はこうやってまる生かしに生かされてそれがこう動いておる。その動きの働きそれにも似たようなものというか、それと同じようにです、私共の日々の生活というものが結びつきに結びついての、その様な事をお願いもしていないのに、こんなにおかげを頂いてと。
 この事を私は思うてもいなかったのに、神様の働きをちゃんとこうして頂いてと言うようにそういう働きがです、私どもの所謂十全の働きとでも申しましょうかね、神様のもう全ての事に付いて神経を神様がつこうて下さってからのそのおかげという、おかげはこれは誰かれの上にそういう働きがあっておるので御座いますけれども、それを頂き止めるのは私共の心ひとつの事なんです。
 ですから信心とはその心ひとつの所を私共が間違いないものにして行こうとする事だと。まっこりゃ毎日の事で御座いますけれども、まあ例えば昨日なら昨日一日は、まっ大変まっお広前も賑わいますし、沢山な用事問題も御座いましたが、その問題の一つ一つがですもう実にその、是が片付いたら是とというそのものではなくて、是ともう一遍に片付いていくと言った様な、しかも朝の五時から晩の十二時まで、もうほんとになんて言うでしょうかね。まっ整然とした機械の動きのようなものを感じます。
 狂いのない機械がこう動いているようなものを感じます。待っ例え一例を一つ二つひらって見ますと、何時ごろからでしょうか、丁度ここを九時か十時頃だったでしょうかね。教務所の方から日吉先生が御見える事になっておられました。それがあの御用が終わってからでしたから十一時五十分に久留米の駅に着くからと言う事であった。でそれで誰かお迎えにいかにゃいかん。でそこへ丁度高橋さんと秋永先生が見えられました。所がここでその丁度、ふすまやさんが来ておりましてから。
 とにかく襖だけでも八十何枚ですからね、しかももう小一間の六尺五寸からの特別誂えしなければならないようなふすまばかりです。それもその見積り来てから、私なんか全然分かりませんから、丁度秋永先生が来とりましたから、それに渡辺先生が見えましたからそのあちらの美術の方を受け賜っておりますから、その襖のま柄合いとか引き手とかその個々については色々そういう意味で応対してくれる、秋永先生がそれにいろんな指図をしてくるから、そこに電話が掛って来た。
 所が久留米の玉置さんというと言う石屋さんから電話が掛ってからこうだとこう言う。梅里さんにもある用件で行かなければならない問題があった。そこに十一時五十分に日吉先生が見えるというて電話があった。丁度そんなら日吉先生をお迎えに行く、梅林寺に行く、玉置さんを片付けて帰ってくると言う様な調子なんです。こちらでは表具屋さんがその秋永先生が指図だけは受けておりますから、秋永先生がその紙の質とか、縁の材料と言った様なものも事を受け賜ってやってある。
 まっそれでけの事じゃないです、もう現場から現場からどんどん電話が掛って来て、ほんとにさっ私じゃ分からんよ、と言う事ばっかりなんですけれども、そいで分かっている人が来てあるというふうな事なんです。それから日吉先生ここによられずに現場の方へ直接行っておられるらしいんですね。であちら色々それから私、また迎えに参りましてから、もうそんときには一時ぐらい、こうもうお食事差しあげにゃいけんだろう、いや久留米でもう丁度お昼の時間になりましたから。
 まあちらで簡単にお食事済ませてきました。でこちらの方も勝手の方もてんやわんやせんですむ。ならあとからの夕食位でいいのです、夕食ちょっと早めにした位にそうして下さればいいですから、で勝手の方もあわてる事もなしに。そいでそのまいうならば秋永先生が夕べ言っていましたが、日吉先生にもいろんな説明やら、また聞く事やらがあってですね。色々こう実にもうタイミングよく、そいでこんだ向こうから行って。こんだこちらへ帰って来るという段になったら。
 もう次々とその業者が、左官が尋ねならん事がある、大工が、電気関係の方と行ったふうでもう実にその、ま言うならばてんやわんや中にですね、もう一つの狂いもない様にですね、いゃ丁度よかったですねというその素晴らしいタイミングの中にその事が成されていきよるわけなんですね。夕べも丁度夕方から、日吉先生中々このお神酒いけられますから、そん時丁度お酒をそのいける人が相伴来てるんですね。
 そいで、まっいうならお客さんほったらかした様にして秋永先生なんかおりませんけれど、秋永先生やら高橋さんなんか出来ませんから、ほいでもう大概いい加減に回った時分に用件済ませてもう日が暮れんごとから帰っておられます。それから今度はあの神具屋が、京都の神具屋がカタログをもって来とるからこれをまあ、見てくれとこう言う。そん時なんかのその私、タイミングの素晴らしさに私ほんとに驚いてしまうんですね。ずうっとこう見ていきよるうちにですね。その御神灯御神灯の所が御座いました。
 今度のあちらの御神灯にはですね、赤銅、赤銅で出来た御神灯が、見事な赤銅の御神灯が下がる事になっています。それがやっぱり両方致しますと丁度約三十万ぐらい掛ります。そのそれでけで御神灯が赤銅です。そらもう見事な細工がして御座います。一つが十三万からする。一対でほいでいつもからま、ここ三十万掛る訳ですね。ですからこれはちょっと高いからまあ一、二万からございますからね。色々ございます三万、五万、十万色々御座いますけれども。もう折角の事なら最高のものをしたいなというて。
 そいでどうしようかと言いよります時に明くる日ふっと二年前位に思いだした事があるんです。ありゃ誰だったかなあの御本部参拝した時に今度椛目にあの御造営が出来たならば、御神灯のあの灯篭型になったのはもう皆さん方は御承知でしょう。あのおかもと神具店に大きなあの黒いあれは何でしょうかね、何ででけたんでしょうか御神灯が下から灯篭型になっておるやつがありますよ。
 あれを一対お供えしたいと言う人がお届けしておった事があるんです。で、けれどもこっちは、まっこっちゃけん、誰だか忘れておったんです、私はね。あれはやっぱり二、三十万位するでしょうね。あの大きいのしたから。所がその丁度そん時にあれもいいけど、あれはあの御神前がさほど広くないですから邪魔になる、下からこうあるから。やっぱかけたのがいい。やっぱこの赤銅ででけたこのつりざおのふうの六角の御紋章入りのそれなんです。けどちょっとそのまあ、高すぎるというわけなんです。
 そんな話をしよる所へそのある人がこの話を横で聞きよるんですね。先生あのそのお供えしたいというのは私ですよち。そうだったのそのみんなで大笑いした訳なんですけれども。そんなかけてございますなら、もう灯篭よりかその釣竿の方がございますなら、それをお供えさせて頂きましょう。もうその場で決まっていくんですね。それが本当に、はこの人のけんち、この人の前で話そうと言うた所でもなんでもないのですよ。そこへそういうふうなしかもその灯篭の話をしよる所へ。
 その話を聞き合わせるようにして、後ろで聞いてるんですね。この人が。私は勿論二年も前の事ですから、だれが御神灯言いやおったけど誰だったかなとこう思いよったぐらいでした。と言う様にそれから昨日は青年会でございましたからこのお広前一杯青年会の方達が信心の共励やっております。もう親先生ならあちらで済んでから先生せっかく見えられたけん、今日青年が集まっておりますから何か一口話をして下さい。
 なら行きましょうち言う事で、まあほんとにここで私がいつもお話をするお話ではない、所謂変わった意味合いでのお話をま、こんこんと若い人達にして下さいました。それから日吉先生を送り出しましたのがもう十一時だったでしょうか。そして私と秋永先生は楽室に帰り、先生方達はもう十二時ぐらいまで一生懸命。それからもう体も疲れておりますけれどもお茶でも頂きながらこうしとりましたら、久留米から私と秋永先生とおらなければどうにもできないと言う人が二人連れで参ってまいりました。
 しかも十二時頃です。いやぁほんと秋永先生あんたそれがもう、高橋さんやら次賀さんが車の人達はあの帰って、大体いつもなら秋永先生乗って帰るわけですよ。所が丁度迎えに来ておったもんですから、もう息子の車に乗って帰りましょうというのでその十二時までここで待っとった。そこへその秋永先生と私がおらなければ、そのお話にならない様な人のお願いがです、もう明日の朝と言いよると困る事があるんです。今晩遅いけれども起こしてからでもお届けさせて頂こうというて二人でやって来てるんです。
 丁度私休ませて頂きますのが十二時で御座いましたが、皆んな帰らしてここ閉めまして、それから最後の御祈念させて頂いてからまぁ、じっと今日一日なら一日の事を思わせて頂くんですよね。どうぞあのの事はよろしくお願いいたします、左官の事はどうぞお願い致します、ね、玉置製材店の事もそれから今日はそんな忙しい中に教務所からまで見えるんですから、どうぞお願いしますというて一言一言お願いしなければ何でもないんです。その一日の中にですね。
 それこそ何とも言えんタイミングの中に万事万端御都合お繰り合わせの中にそういう働きが。これは今私が申しましたのはそれだけですけど、まだまだそんなこっちゃない。私が気が付いただけでも、これに対する所の気が付かん所というたらそりゃまぁ大変な事。そりゃまあの表具屋が来ておりましたが表具屋の話を聞いとったらです、もうほんとにあんたが神様の事に一生懸命、もう私はもう驚いてしましましたですね。表具屋が見積っとるのがですね、もう最後にここであの。
 丁度昼ご飯になりましたから、私は渡辺先生と表具屋と三人でお食事させて頂いた。私どんのごとそのいうならば、もう実意のある本当のお話をこうしておるのを聞いてですね。表具屋がほとほと感動するわけです、感動したわけなんですね。そいで実を言うたら、今日の見積もりはこう言うふうにさせて頂いとった。五十何万でしたでしょうかね。びょうあの襖が、ね、所がですこれはこう言う一生懸命の人達が。
 こう言うふうに一生懸命しておる、とてもこりゃこう言うふうじゃいかんというてまた見積もりを書き直した。三辺ここ書き直したちいう。そして結局何を引いたかち言うとですね、その自分のもうだれもがそれではいけませんからですね、とにかく自分が日に五時間働くとを、八時間働けばよいからと言う様な、計算でしたという見積もりを出してるです。そいでこれはどこのどういう立派な、その大きな表具屋へ行ってさせて下さってもうよい、どこの大きな卸屋の表具材料手に入って聞いて下さっても良い。
 あの是にどの位、私が是に利益を掛けておるかと言う事が、分かると言った様な、意味の事をですね、もうほんとにあの実は私はあの、創価学会の信心をしておる。それで失敗を致しまして子供が亡くなって、そしてそれは信心が足らんからなんてふうな意味の事を言われてから、もうそれっきり信心のしの字も入らなかったんですけれどもです、ここで皆さんが一生懸命御用頂いておられるとてもここで儲けると言った様な事はもう出来んと言う様な気持ちに二、三日からの間にならせて頂いたというわけなんです。
 ですからなら言うなら渡辺先生と私とあんたと今日はこうしておかげ頂くとが十何万ちょいと、儲かったわけですたいね、ち言うてから話したことでした。まぁ例えて後から言うておりましたがですね、もうそういうその一間なんぼもあるような大きな襖なんか何十枚かある。何十枚かあれが十枚かあるでしょう。十枚と言わんでしょうか。まっいうならも全然分からないんです。わざわざ誂えなければ普通じゃないのですから。言うならそういうのが、まっ言うならば儲けもんだそうです。
 もう規格のもんなんかは儲けが決まってるわけなんですね、もう大体そう言う所を所謂削ってからの見積もりになっておるわけですよね。というふうにま一事が万事そうなんです。目に見えないこの働きというものはもうどうにもできない。まあだもう私がもうほんとに私の実感と言うことが沢山あったんです。昨日一日の中に、てんやわんやの中にです。でその事を皆さんが帰りました後に、お礼を申させて頂きよりましたら、今日みなさんに聞いて頂こうと思い、一番初めに申しました様にです。
 私共人間がどうぞ今日は表具屋が来ますから、具合よういっちょお願いしますと言うだけではいかんて。石屋の事もお願いしますだけじゃいかんて。なら教務所からも見えますからどうぞ万事、お粗末のないようにというだけでもいけない。これだけはでけたけれども。今日なら教務所が見えとるから、石屋さんこれは明日にして下さいと言った様な事じゃないち。そしたらそのことをお礼申させて頂きよりましたらです。
 小さい心棒にですね、歯車が付いておる、この位な歯車が。それで私がお礼を、一日の事をお礼申し上げて頂きよったら、その歯車が付いておる。その小さい歯車がです、こちらにやや大きな歯車にこうなっていきよる所を頂くんですよ。すとこの大きな又大きな歯車が回って、ぐるぐる回っていく。もう無数の大きな歯車がです。たったひとつの小さい心棒にこう付いておる歯車が正確に回っておるために全部の大きな歯車がもうそれこそ一分一厘の間違いない。
 天地の運行のそれにも似たような姿です、こう回っている。これが今朝椛目の広前でです、ね、行われた一分一厘神様の間違いのない働きの姿を見せて下さったんだと私は思うのです。皆さん自分のです、どうぞ今日のお商売ならお商売のこと、体なら体だけのこと、それは成程自分の気の付く限りは申します。今日はどこどこに集金に参りますから、ね、体がここが悪うございますから、こんな難儀な問題が起こって
   途中切れ。